お仁の一期一筆

第六十七筆「人磨きの鍛錬」

〈物事をなすのは組織ではない。物事をなすのは計画や制度ではない。物事をなせるのは人だけである。組織や計画、制度は、人を助けるか邪魔するか、である〉。米国の原子力海軍の父といわれるハイマン・G・リッコーバー大将の言葉である。物事をなせるのは人だけである。誰も頷いてしまう至言だろう。

稽古を怠れば、すぐに力は衰える。油断と慢心が最大の敵>。これは二六歳で二〇回目の優勝を果たした朝青龍に大横綱・大鵬が贈った言葉である。〈鍛とは千日(三年間)の稽古、錬とは一万日(三〇年間以上)の毎日欠かさずの練習〉。生涯無敗伝説を持つ剣聖・宮本武蔵が『五輪書』で強調した〈鍛錬〉という言葉も思い浮かんできた。

音楽界の英才教育には〈一万時間の法則〉もある。物心ついた幼児の時から一日三時間、一〇年間休むことなく稽古すれば、約一万時間の練習となる。ピアノやバイオリンの世界コンクールに入選する人の多くは、この手の若き音楽家だという。

いずれもプロ野球クライマックスシリーズ出場を逃した我が愛する巨人軍の選手に贈りたい宝言葉だ。身近には、通算安打世界記録やMBA(米大リーグ)最多安打記録保持者のイチローもいる。今月二二日に四四歳となるイチローにふさわしい言葉は、武蔵流の鍛錬に徹する〝努力の超人〟だろう。

何事も究極は人。己をどう磨くかである。我も週一回の一期一筆道場での鍛錬を、ささやかに続けている。拙文にお付き合いくださっている読者の皆様の寛大な心に深謝である。

第六十八筆「鼠小僧の義賊風説」

〈鼠小僧「義賊」にあらず〉。先月一三日付けの読売新聞文化面に掲載された日本史家・磯田道史さんのエッセイ〈古今をちこち〉には正直、驚いた。一八三二年に処刑された鼠小僧・治郎吉(次郎吉)には、この齢まで義賊と思い込まされていたからである。

相棒の辞書の『義賊』の項目には、義侠心のある盗賊。金持ちから盗んで貧民に分け与えたりした鼠小僧は義賊だと言われている、と記述されているから、なおさらである。

磯田さんは、東京・神田の古本屋街で見つけた鼠小僧にまつわる古文書を解読し、「鼠小僧は実にけしからぬ奴である」と断じている。

北町奉行所に提出したという古文書には、鼠小僧は大名屋敷一一九家に侵入。狙った場所は九六%が、女性の居住空間(奥向・長局)だった。磯田さんは「女性の部屋を覗う鼠小僧には偏執性を感じずにはいられない」とも分析している。

盗んだ総額は「三千三百八拾弐両壱分程也」とも、「金一万弐千両程」とも史料に記されているが、「盗金は悉く悪所場・盛場にて遣い捨て」とあり、庶民にばら撒かれた訳ではないという。

鼠小僧の義賊風説は、江戸庶民の権力者への反感から生まれた、というのが真実のようだ。〈人間は自分が信じたいと望むようなことを自分から望んで信じる〉というが、我もそうだったようである。最近は、偽ニュースサイトも世界に氾濫している。鼠小僧の義賊風説の二の舞にならぬよう己を戒めていきたいと思う。

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