お仁の一期一筆

第十九筆「愛嬌と運と後ろ姿」

愛嬌という言葉で思い浮かぶ男は、古くなるが清水次郎長一家の森の石松。運が強そうにいつも見えたのは長嶋茂雄。後ろ姿といえば高倉健しかいない。

愛嬌、運が強そうなこと、そして後ろ姿。これはパナソニックの松下幸之助が存命中、自社の管理職を一堂に集め語ったリーダーに備わっていなければならない三条件だ。印象深いリーダー論だっただけに、その時に浮かんだのが冒頭の三人である。

無鉄砲で、情にほだされるは、隙はあるはで周りをはらはらさせる。取り巻きを「守ってやらねば」という思いにさせるのが石松である。

天覧試合での劇的な本塁打など見せ場で印象に残る結果を残した長嶋は、運が強そうに見える代表格だ。長嶋が発する溌剌とした晴れやかな空気と緩みはファンにはたまらない。

後ろ姿の男と言えば高倉健であろう。後ろ姿で語り、背中で語る。寡黙な余韻と言おうか、それに惹きつけられるのである。

ほどよい隙があり、ほどよい緩みがあり、胸をキュッとさせる翳りがある人間に人は惹きつけられるようでもある。

統率力があり、軸もぶれず、聴く耳を持っているなどの心得も大事ではあるが、隙や緩み、胸をキュッとさせる翳りは、周りを指示待ちではなく、能動的にさせる不思議な力があるようにも思える。

リーダーがいなくても能動的ないい組織をつくれるのが真のリーダーなのかもしれない。ナンバー2の性格が、その集団を決めるとも言われる時代だが、松下幸之助のリーダー論には、今も深い味わいがある。

第二十筆「一計百案」

拙いコラムだけに題材探しや切り口にも毎回、悪戦苦闘している。今回もそうである。戦後七十年の夏。世界唯一の被爆国としては、やはり広島、長崎の惨劇に触れるべきではと考える。

その場合、切り口をどうするか。経済力と科学技術の総力を注いだにも関わらず、その結果、人類が得たものは悲惨きわまる災禍であった。科学の進歩それ自体は善でも悪でもないが、問われるのは科学の力を行使する人間の資質。誰しも持つ人間の魔性にまで切りこみ、科学を決して悪用しないだけの高い道徳的水準を各々が身につけるべきと語るのも一案。

最近では無人戦闘機やロボット兵士も開発されたし、インターネットを悪用したサイバー攻撃なども取り沙汰される時代となった。安全神話を語り続けてきた原発の苛酷事故もある。

原発事故を語るなら北杜夫、養老孟司、茂木健一郎さんら大人になった虫取り少年たちの話から、放射能汚染という最も手強い問題に立ち向かうには、昆虫採取による生態系の変化の観察も必要といった考えも披瀝したい。夏だけに昆虫採取を題材に科学力と人間力を語るのも一考だ。そういえば、東京・渋谷の宮益坂でミンミンゼミが鳴いていた。幼虫はどこで育ったのだろう。我が脳内の堂々巡りは、まだ続いている…。

一計百案。一つの課題に対して百個の案を出すぐらい考え尽くす。ネットで一見もっともらしい答えが得られる時代だが、それでは思考力や判断力は身につかない。安直な答えを疑う洞察力を養っている。筆力のなさの自己弁護である。

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